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映像用電子技術の新たな地平へ
−マルチメディアの世紀を先駆けた男たち−

この時期、開発と生産技術を担当している技術者たちの仕事は連日深夜まで及んでいた。具体的な製品開発が始まったこともあるが、その実CRTの生産は1000本作ってモノになるのが2〜3本、歩留り数%というありさまだったからである。出荷してはいるが、赤字であった。「一万円札を何枚もおまけにつけて出しているようなもの」(三浦)という状態では、とても量産対応とは言えない。
白鳥正邦が生産技術スタッフとして加わったのは、まさにそんな最中である。歩留りを上げるためだった。
生産技術とは、ばら付きを押さえることがまず第一歩である。ばら付きがあっては、どこがネックなのか、何を改善すれば、向上するのか、その目処すら立たないからだ。「ところが最初は、なぜこういう作り方をしているのか、その理由が判らないわけですよ。ものづくりの仕組みが出来るのには、それ相応の背景と理由が必ずあるんです。」(白鳥)
それを把握するのに時間がかかったが、対策が施され始めたことで、徐々にではあるが歩留りは向上した。
だがその矢先、母体であるビデオカメラの問題から、第1号機は早々と打ちきりになってしまったのである。ことここに至っては、電子ビューファインダーは、袋小路に追い詰められたと言うしかない。3年かけても売れないお荷物なのである。最初に開発を打診してきたメーカーでさえ「やっぱり量産化は無理でしょうね」と、あきらめムードを漂わせる。だが、それでも開発は続行された。製品としての可能性はもちろんだが、そこで積み重ねられていることは、将来技術として必ず役に立つという経営陣の決断からであった。
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